人の交流部門 銀賞
ハサンベツ里山づくり20年計画実行委員会
日本は、縄文文化を基層にした母性型農耕文化を持つ。日本人がよく働き、今日の繁栄を築いてきたのも、あるいは治安が格別に良かったのもこうした文化と無縁ではない。その文化が戦後特に大きく揺らぎ今日さまざまな社会問題を起こしている。
ハサンベツ里山づくりは、こうした失われつつある日本文化の再生をめざしたものといえる。「春の小川はサラサラ」「夕焼け小焼けの赤トンボ」「森の木陰でドンジャラホイ」などの各種プロジェクト名や、その総体名称『ふるさと再生・創出プロジェクト』はその意図を如実に物語たっている。
栗山町には、近傍に道立中央農業試験場(長沼町、一部職員住宅は栗山町)が、町内には王子製紙株式会社森林博物館(旧林木育種研究所)があり、学術的調査に携わる研究員がいた。ここからもたらされる人材や情報が町民の自然に関する知的レベルや関心を高め、1985年のオオムラサキ蝶の発見となった。この発見がさらにまた植物観察会、オオムラサキの会、おっ鳥クラブ、ホタルの会等々の発足や、これらを束ねた「栗山いきもの里づくり推進協議会」などの結成に結びついていく。町民のこうした活動に促されるように、栗山町は1999年に20haの離農地を自然財産として購入する。ここに20年計画と名付けたふるさと再生グループ(実行委員会)が誕生しハサンベツ里山づくりが始まる。このグループには先の栗山いきもの里づくり推進協議会の他に、栗山町女性団体協議会、青年団協議会、青少年育成会、老人クラブ、桜丘町内会、さらには町外からの参加もある。
5〜11月の第2日曜日は「ハサンベツの日」と称して町民や賛同者の自主的な参加が行われ、小川づくりや湿原の再生、田んぼ作り等さまざまな活動がなされる。 また2002年度に完成させた活動拠点施設「里山センター」の建設は町民からの500円募金やボランテア活動によって行われた。
ここに特筆すべきなのは、ソフトもハードもさらに資金、技術も全て自前であり、かつ幅広い参加を求めた自主的活動であるという点である。行政は法的な問題のクリアなどに当たるに過ぎない。冒頭に述べた高い理念といい、この点が特に高く評価できる。
こうした活動が幅広く支持され隣接する50haの雑木林の寄贈も受けゆくゆくは300ha程にする予定という。ハサンベツの小川の再生から始まったこうした活動は、夕張川懇話会、渡り鳥調査会、魚類調査・川体験サ−クル夕張川なんでも探検隊への発足につながり、夕張川流域全体にまでその交流の輪が広がっている。小さな町から始まった日本文化再生の試み、息の長い20年後の取り組み結果が待たれてならない。
2004年12月
「わが村は美しく―北海道」運動 第2回コンクール表彰審査委員会
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